歴 史

水神小学校は、今年、開校60周年を迎えますが、戦前にも水神小学校がありました。
ここでは、まず、明治末期からの亀戸の様子と旧水神小学校ができるまでの様子についてご紹介します。

明治末期~大正時代

 開校以前、明治末期の亀戸村は、まだ稲穂がそよぐ田んぼ、白や赤い花の咲く蓮田、膝まで埋まる湿田、きれいな小川といった景色が広がり、時に狸・狐・イタチが現われ鶏をとられることもあったそうです。多くの人たちは家業として農作業を行い、特に蓮田を作り、草花を栽培する植木屋、金魚の養殖などをしていましたが、明治政府の勧めもあって、乳牛の牧畜経営をする人たちもいました。

 人家もまばらで、古老の方が五丁目の自宅から六丁目の第二亀戸小学校の全容が見られたといいます。天神橋の上に立って五の橋を見渡せば、家が十三軒あったことと、十三間通りと誤られたといいます。夜は畔道を行く人たちの提灯の明かりがちらほら見え、子どもたちはこの様なところで小魚捕り、蛙捕り、水泳など、自然を相手に遊んでいたとのことです。


東京府南葛飾郡水神尋常高等小学校

 最初の学校は、1925年(大正14年)4月に東京府南葛飾郡水神尋常高等小学校として創立されました。校舎は、木造二階建てで、児童数1361名、教員数26名で、大正14年5月15日に開校しました。
 初代の校長先生は、一ノ瀬誠次先生。40歳で校長に就任し、昭和19年の退職まで水神小学校に勤務されました。  その当時の校庭は、土のため小石が多く、拾っても拾っても石が出てきて、テニスコートを作るのに苦労したということです。また、大銀杏があり、トラックのコースは、その外側を回るように線を引いたといいます。また、何十人乗って遊ぶ「水神丸」というシーソーの舟があって、子どもに人気があったそうです。
 1927年(昭和2年)4月には、東京府南葛飾郡水神尋常小学校と校名が変更されました。
 昭和6年4月1日には、南葛飾郡亀戸町立亀戸尋常夜学校が、水神小学校内に設立されました。
 昭和7年、南葛飾郡の亀戸・大島・砂町が合併して城東区が成立し、10月1日東京市水神尋常小学校と校名が変更されました。
 昭和16年4月1日には、東京都水神国民小学校と校名が変更されました。


赤湯へ疎開

 戦争がだんだん激しくなる中で昭和19年8月4日、学童疎開で山形県赤湯へ474名の児童が疎開しました。

 昭和20年3月10日、一夜にして校舎を全焼。当時、児童数2300名、46学級、職員数43名の大規模校でした。

 昭和21年3月19日、廃校。

 


東京都江東区立水神小学校

 戦争が終わって約10年、昭和30年頃、亀戸の町もだんだん発展し、十三間通り(明治通り)の交通も激しくなってきました。
 同時に地元の人達から水神小学校再建の願いが強く出されました。

 そして、1960年(昭和35年)4月、第一亀戸小学校内に東京都江東区立水神小学校が設置されました。しかし、児童は一人もおらず、校長先生一人の学校でした。


 

 

11月5日が開校記念日

 11月5日、第一亀戸小学校から1年生133名、2年生135名、3年生128名、合計396名が水神小学校の児童となりました。このとき水神小学校の最高学年は、3年生でした。職員数は12名でした。この日を記念して、11月5日が開校記念日となりました。
しかし、水神小学校の校舎はなく、第一亀戸小学校の教室の一部を借りて勉強をしました。

 昭和36年2月、旧水神小学校の跡地に戦後建てられていた都立江東商業高等学校が廃校したため、そこへ移転しました。
この実現には、地元の人々の「水神小学校を元の場所へ!」という熱い思いがあったのです。

 昭和36年4月6日、新1年生が入学し、3学級増となり教師も4名が着任しました。また、10月18日には、江東区の連合運動会に、4年生ながら特別参加しました。その後の学芸会、音楽会にも参加しました。
 昭和38年度は、最上級生として3年生の時から頑張ってきた児童が6年生となり、初めて全学年がそろって学校生活を送るようになりました。
 昭和38年7月7日、青少年音楽祭に出場しました。これが、鼓笛隊の校外活動の第1回になりました。


水神小学校第1回の卒業式

 昭和39年3月25日、水神小学校第1回の卒業式が二瓶哲治区長ご臨席のもと、新しい体育館で盛大に挙行されました。新しい水神小学校の初めての卒業生でした。
 昭和39年10月9日、6年生が日光移動教室に行っている間に、東京オリンピック前夜祭に5年生が出場し、立派に演奏しました。これが、水神小学校の鼓笛活動の輝かしい伝統になりました。
 また、この年の3月1日に水神小学校の校歌が制定されました。作詞作曲は、国立音楽大学教授・岡本敏明先生です。
 昭和40年には、プールが作られ、その後も鉄筋校舎が次々と作られていきました。しかし、昭和63年頃になると、それまでの鉄筋校舎も次第に老朽化し、あちこちの痛みも激しくなってきました。そこで、江東区では、国や東京都と協力して学校を新しくする計画を立てました。

 平成2年12月に新校舎・体育館が完成し、新しい校舎になりました。そして、平成3年1月から、新しい校舎での生活が始まりました。
 平成17年3月には、大規模な校庭改修が完了し、新しく生まれ変わった校庭になりました。


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更新日:2020年08月31日 19:38:25